『NEED AND NOT.』
「村中、昨日すごかったなー試合!最後のホームランとかさ」
馬鹿みたいに賑やかな声。「村中」「試合」というキーワードで思わず耳を傾けてしまってから後悔した。なんで僕はこう迂闊なんだろう、あんな連中の会話なんて聞きたくもないのに、例えその中心が由太郎だったとしても。
「おう!あんがとなー!うん、昨日は楽しかったぞ?」
答える由太郎の声も馬鹿みたいに明るかった。昨日の初戦突破がよっぽど嬉しいみたい。そうだね由太郎は四打数一安打三本塁打。三振なんか一つも無かった。しかもほとんどホームラン。満点と言ったって差し支えない成績だ。そりゃあ誰だって喜びたくもなるだろう。
そのまま延々続く昨日の話題から、意図的に意識を背けた。僕には関係ない。いや、関係あるんだけど、でもどうせあの中心は由太郎だし。
僕は連中の声が大嫌いだった。好きなのは猫のポー、嫌いじゃないのは由太郎と部の人たちの声。
少し首を振って目の前の予習ノートに集中しようとする(勉強は好きじゃないけどあやとりの次に良い時間つぶしだ)。でもその時、さっきと同じ声が何気なく言い放った。
「そういやさ、沖も昨日の試合出てただろ!?先発で!」
急に呼ばれたことでびくりと肩を震わせて再び前を見る。彼らは“まだ”こちらを見ては居なかった。でも雰囲気からするとそれは時間の問題。
「あーそうそう!あれマジ驚いたんだけど俺!沖が野球部って知らなかったし」
「あいつ目立たねェんだもん。あれ、そういや何処に居んだ?沖ー…あ、いたいた」
そして向けられるいくつもの目。その中に由太郎の真ん丸い碧眼も混じってたから少しは耐えられる気がした。が、居心地が悪いのは変わらないので肩をすくめて若干後ろに退く。
「お前、昨日すごかったよ。シンカーとかスライダーとかすげェ曲がってたし」
「そうそう、一応途中で交代したけど沖だけでも抑えられたんじゃね?」
滅多なことじゃ話しかけてこない、むしろ避ける(こっちもその方が好都合)クラスメイトの妙に親しげな声。悪く言えば馴れ馴れしい。なんだか昨日の試合のことでえらく感動しているみたいだから、その勢いで舌が滑らかになっているのかもしれない。鬱陶しいと思いながらゆっくり口を開く。
「……別に…そんな、すごくなんか…魁さんの、方が」
魁さんの名前を出すとまた派手に反応された。
「あーそうだ、村中の兄貴!あの人もすげェんだよなぁ」
「沖とは正反対だろ?剛速球だもん…あれ、あの投げ方、なんてったっけ?村中」
由太郎はくりっとした瞳をにぱっと細めて答える。
「マサカリ投法だよ」
「そうそう!あの投げ方、すっごい迫力。俺見るといっつもワクワクすんもん」
ああもうほんとうるさいうざい黙ってよ僕関係ないでしょヒーローはそう村中兄弟だけで良いんだよ僕は違う小饂飩先輩や緋慈華汰先輩とも違う、僕は、ただの前座。それが力の差の結果だ。別にそれでいい。
僕の背後の黒い気配を見て取ったのか、由太郎が何か言いたそうに口を開ける。でもその時、まさに絶妙のタイミングで連中は言い放った。
「あの人が居る限り沖はエースは無理だなー」
「お前、なんつーこと言うんだよ本人の前で!大体なあ、比べるのがかわいそうだろ」
塞ぎかけていた目と耳をぱかりと開ける。次の言葉、予想はつくけど、息すら少し止めて待つ。
「相手は村中だぜ、村中。“あの”村中紀洋の息子!」
その時、ずっと笑顔でいた由太郎の顔が一瞬固まるのが見えた。開きかけた口は閉じられる。
気が付いたら僕は口を開けていた。
「…違うだろ」
「は?」
「へ?」
多分質問してもいないのに僕が口を開くことなど有り得ないと思っていたのだろう、間の抜けた声が返ってきた。構わず続ける。考えるより先に言葉が。
「関係ないよ。魁さんが誰の息子だろうが関係ない。あの人の球はあの人がずっとずっと努力してきたからあるんだよ、お前らなんか想像も出来ないくらいの血反吐吐くような練習毎日してきて、何年もしてきて、やっと掴んだ力なんだよ。僕はあの人の昔なんて知らないけど今のあの人なら少しは知ってる、あの速度の球を投げれるようになるまでどんな努力が要るかも嫌ってほど知ってる」
目を白黒させてる連中の真ん中で、由太郎までぽかんとしてこっちを見てた。何ぼーっとしてんだ由太郎、これお前にも言えることなんだよ分かってるの?
「才能だけじゃ野球は出来ないよ。そりゃ才能あればそれは大きいことだけどね、でもそれだけじゃないだろ努力だけでのし上がる奴だっているんだし」
「……おき…」
由太郎の声。気が付いたら教室の喧騒が少し鎮まっているみたいだった。ほんの少しだけど。まだごく近くの人間がここの空気に気付いて少し口をつぐんだだけだから。まあそれはどうでも良いし由太郎の声もすごく小さかった、だから続ける。
「軽々しく可哀そうだなんて言わないでよ、僕は魁さんのせいで自分が惨めだとか可哀そうだとか思ったことは一度も無い、あの人はあの人の努力をして僕は僕の努力をしてきたそしてその結果が今なんだから、あの人は村中の息子だからエースなんじゃないよホントのホントに誰より実力を付けられた人間だからエースなんだよどんなすごいプロ選手の息子だって何もしないであんなの投げれるわけないだろ馬鹿じゃないの、由太郎だって同じで…」
「沖!」
今度ははっきりとした大きな声だった。由太郎の。そして教室は正真正銘静まり返る。
誰もがびっくりしたように目を丸くしていた。今話していた連中も、恐らく僕も。由太郎はいつもニコニコしてて、怒鳴るなんてことはまず無い人間だったからだ。ほとんど初めて聞く、怒声に近い一喝は、簡単に場の空気を凍らせた。
でも由太郎はそれから一拍置くと、へらりといつもの顔で笑った。眉毛だけは困っているときみたいに八の字。
「…ごめんな、皆。なんでもないから、喋っていーよ」
それは凍りついた教室の人々への言葉だった。まあそれだけで解けるほどその場の緊張は緩くなかったけど、由太郎は続ける。
「あと、お前らも。気にしなくていいからさ、今の。俺お前らと一緒に野球の話すんの好きだし」
今度は話していた数人へ。そして最後に由太郎はこっちを見た。一応笑ってるけどぎこちない。
「沖、行こ。そういやにいちゃんとかうどん先輩が来いっつってたよな」
そうして歩み寄ってきて僕の腕を掴む。勿論そんな話は僕は聞いていなかった。
促されるままに立ち上がり、ノートを机に置いて歩き出す。教室を出て後ろ手にドアを閉めると、蘇った喧騒がわっと背後から襲ってきた。ちょっと由太郎くんどうしちゃったのよあんたたち何言ったの沖くんも変だったよねなんかあったのかなあ。流れるように漏れてきた声、それ以上聞きたくなくて歩くことに集中した。
由太郎は真っ直ぐ前だけ見てずんずん進む。顔が見えない。僕の左手首はまだしっかり掴まれたままだ。引っ張られて、少し痛かったけど、渋る僕を由太郎がこんなふうに無理矢理連れてくことはよくあったし僕も周りも気にしていなかった。
明るい廊下。床の木目でも数えようかと思い始めたとき、由太郎がやっと口を開いた。
「沖」
声からするともう笑ってないみたいだった。真剣な、バッターボックスに向かう時のような声。少し低い。
「ああいうのな、いいんだよ。言わなくても。俺もにいちゃんも気にしてないし」
うそつき、一瞬消えた笑顔、僕は見てたよ。
「自分の力がどうやってついたかぐらい、よく分かってっから。周りがどう見てもいいよ、オヤジから貰ったもんってやっぱり多少はあるし。でも、俺はどうでもいいんだ。今あのメンバーで野球やれるのが嬉しいから。その中で皆に頼りにしてもらえるだけの力を自分が持ってることが嬉しいから。それだけで十分だ」
ああそれは分かるかも。そうだよね他なんていいよね、僕も由太郎たちが居れば他の連中が僕をなんて言おうが僕に何しようがどうでも良い。もう中学の時とは違うんだから。今の僕には野球がある、野球と一緒にいることを認めてくれる人たちが居る。それだけで、僕は。
「いーか?俺もにいちゃんも、ああいうこと言われたって何か言おうとは思わねーし、実際言わねえ。言いたいように言わせとけば良い、それでも俺たちは野球をやるし野球が好きだ。…だからな、沖が言わなくたっていいんだよ」
ずっと硬かった声が少しだけ和らぐ。諭すような、そんな感じ。
「沖も黙っててくれればいいよ。俺たちのために何か言おうなんて思わなくて良い、あんなことのために沖が傷つくのは嫌なんだ、俺」
「僕が傷つく?」
本気で驚いていた。意味が良く分からない。由太郎は頷いて、淡々と続けた。
「沖、ねがてぃぶだろ。俺はそれでも別に面白いし良いんだけどさ、他の皆は付き合いにくいみてーなんだよ。どうにか慣れさせてやろうかとも思ったけど沖もあんまりいっぱい話しかけられるの嫌そうだったし放っといた」
それ正解。良い判断。心の中で正解ベルを鳴らしてあげた。
「でさ、そんな中なのにさ、あんな重いこと言っちゃったらますますあいつら沖のこと遠ざけたがるようになっちゃうよ。沖の話って案外辛口だかんな、慣れてない奴は結構落ち込むぜ」
思ったこと素直に言ってるだけです。
「俺やだよ。そんなんヤだよ。俺らのせいで沖と皆がもっと遠くなるなんて、やだ。だからあんなこと言わせたくない。…俺、ほんとは沖にも皆と仲良くしてほしいんだ。もっと誰かと話して笑ってほしいんだ。だから、言わなくて良い、俺らのことは何言われても黙ってていい、それで誰も傷つかない」
「……」
うそつき、うそばっかり、由太郎たちは傷つくでしょう。そう言いたくて口を開きかけた。
「でも……」
「でも」
僕の声を遮った声はさっきまでとは少し違う調子だった。初めてぴたりと止まる、由太郎の足。僕も立ち止まる。
振り向いた顔は眩しいくらいの笑顔だった。
「でも、さっき、嬉しかったよ。」
ありがとう。真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐなその言葉と笑顔に、僕は俯いた。
「あー、せっかくここまで来たしマジでにいちゃんたちのとこ行ってみよっかな!」
「…もう予鈴……鳴るけど…」
「えっ、うそ!?次なんだっけ!」
「化学……」
「えーやっべぇなー俺はどうせ寝ちまうからサボってもいいけど沖はちゃんと授業受けてっからなー…」
他愛無いやりとり。太陽の笑顔で大股に歩く由太郎の後ろ、僕は少し俯いてついていく。
滅多なことじゃ動かない表情が若干でも和らぎ、緩んでいるのを自覚しながら、ついていく。
--------End.
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ホントは漫画にしようと思ってたネタです。沖ユタ。まだ地区予選一回戦終わったばっかり。「村中だからしょうがない」みたいな言葉でキレる沖とそれを諌める由太郎、ってのが最初に浮かんで、それから「でも、さっき、嬉しかったよ。」のユタの笑顔が浮かびました。だからそれだけでも描きたかったんですが…なんとなく面倒臭くなってしまって……(汗) 今でも上記のユタの顔だけは描いてみたいです。そのうちイラストとしてUPしてみようかな(その前に描かなきゃいけないってこと分かってるか?)
村中の名前に関しては、ユタたち自身は結構ドライに受け止めてるといいです。逆に小饂飩とか沖とか、周りの方が過敏に反応すると思う(笑)
ごくごくたまにしかキレない、キレると恐い、そんな由太郎ってよくないですか。私は好きです。(訊いてねェ)
タイトルは「言わなくちゃいけないこと、言わなくてもいいこと」みたいな感じのがいいなーともやもや考えててふっと浮かんだので決めてしまいました。必要なこと、そうでないこと、みたいな感じに訳できる…んだといいな〜とか思ってます(英語発音誉められるだけで成績最悪の人) 言わなくていいこと、俺たちのこと。言わなくちゃいけないこと、大事な君へ『ありがとう』。そんな感じで。(笑)